エンタメバカのエンタメ日記。

ドラマ、映画、本、漫画、様々なエンタメが大好き。四六時中エンタメのことを考える僕が今伝えたいことを独自の目線でただ書いてます。

果たして涙を流す映画・ドラマの物語はイコール良い映画・ドラマなのか??

はいこんにちは!ヒロキです。

 

今回のテーマは映画やドラマにおいての

というのに注目したいと思います。

 

 

 

皆さんは映画やドラマにおいてこう言った謳い文句を

よく目にするんじゃないでしょうか?

「涙すること間違い無し!」

「泣ける映画はこれだ!」

全米が泣いた。」

「絶対に泣ける10選」

など「」や「泣ける」というキーワードはエンターテイメントにおいて

今や欠かせないものになっていると思われます。

 

このキーワード「」は人の興味を惹き関心を集め

少し前からは涙活なる

 

 

イベントを開催すると多くの人が集まるほどになっています。

 

やはり人間は映画やドラマを見る上で感動を求めたり興奮を求めたりするのは

至極当然なことであり、この涙も感動や興奮の先にあるものだと思います。

 

しかしここで僕が訴えたいのはこの頃の映画やドラマで用いられる涙への誘導が

安易なもの、チープなものになってはいないか?

ということです。

 

確かに親や親戚や恋人や友達やペットが亡くなってしまう物語は

そのことを経験した人、していない人ともに

涙するきっかけは作りやすいと思います。

ですがそのきっかけが作りやすく泣かせやすいというのにかまけて

作品の内容が散々なものがこの頃の邦画には多いような気がします。

例えを出すのは嫌なんですが

「抱きしめたいー真実の物語」

 

この映画は北川景子錦戸亮が主演で

2014年に公開された実話を基にした映画なんですが

この映画は涙しようと思えばできますし実際に涙した人も多くいると思います。

それもそのはず、この物語は実話を基にしているので話自体にはリアリティーがあり

共感はできなくても何か得られることはできる物語なんだとは思います。

しかしこの映画からは正直得られるものはなく

場面場面の話はとびとびに作られ

本当に泣かせるために物語を持って行こうとしてる映画を作っていったんだろうな。

と思われるような作品でした。

実際はわかりませんが僕はこれは映画監督や脚本家もちろん演者は

あまり悪くないような気がしています。

おそらくですが実話を基にした映画が当たっていた日本映画の状態で

泣かせるということに重きをおくことを指示された末のできた物語が

こういった作品になってしまったのではないでしょうか?

 

ではなぜこのような泣かせることを目的とした

映画やドラマが増えてきたのかは

我々見る側の責任も大いにあると思われます。

先ほども出ましたが涙活なんていうのはわかりやすい例で

泣きに行くという安易な行動をする人が増えたことによって

こういった作品も増えてきたんではないでしょうか?

(ここからは単なる僕の変な意見なので聞き流してくれていいのですが、

正直他人が亡くなったり他人のペットが亡くなったりする映像をみんなで観て泣こうなんていう活動は本当に利己的であり、泣くことを目的にそう言った映像を見ようとすることは個人的には悪趣味だなと思います。)

 

確かに涙することはリフレッシュにもつながりますし

ストレス解消にも直接つながることはいろいろな先生たちが言っていることで

実際そうなのだと思います。

しかし忘れてはいけないのは

物語の感動や興奮のいきつく先が涙につながるのであって

涙に直接的につながることを求めるのはナンセンスであり

エンターテイメント自体の根幹を揺るがしかねない行動だ

ということをわかってほしいなと個人的に思います。

 

これからいい映画ドラマを見ていくには

僕たち視聴者も正しい目を持っていくことが大事だと思います。

 

 

ではでは          ヒロキ

 

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